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場所論ー003

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『場所の現象学』エドワード・レルフ著、高野岳彦ほか訳『場所の現象学』ちくま書房(ちくま学芸 文庫)、1999年。 「人間の経験における場所の意義はそれよりもはるかに奥深いものであるということは、破壊しよう とする外部からの力に対抗して自らの場所を守ろうとする個人や集団の行動を見れば明らかだし、ま たホームシックや、どこかの場所に対して郷愁を感じた経験のある人なら誰もが知っていることであ る。人間的であるということは、意味のある場所で満たされた世界で生活するということである。つ まり人間的であるということは、自らの場所を持ち、知ることである。」(pp25-26)

「私たちの日常生活においては、場所は、単に位置や外見によって記述できるような明確に独立し て定義される実体としては経験されない。むしろそれは、場所を取り巻く背景、景観、儀式、日常の 仕事、他の人々、個人的体験、家庭への配慮とのかかわりなどが渾然一体となった状況において、そ してまた他の場所との関連の中で感じられるものである。」(p81)

場所のアイデンティティとはどのようなものであるか。場所のアイデンティティの基本的要素は物質的 要素、人間活動、意味の3者である。そしてさらに、これらを結びつけ含有するものがある。 「それは、『場所の精神』、『場所のセンス』、『土地の気風(ゲニウスロキ)』のように、特徴あ るいは個性という言葉に関係したあらゆる言葉で様々に呼ばれてきたアイデンティティの属性である。 明らかに場所の精神は、地形や外見、経済的機能や社会的活動、および過去の出来事と現在の状況か ら引き出される特定の意義伴っているが、これらの単純な総和とは違う。場所の精神は、アイデンティ ティの基本要素が根底から変化しても永続することができる。デュポスは次のように記している。『際 立った特徴は変化にもかかわらず存続する。イタリア、スイス、パリ、ロンドンは、多くの社会的、文 化的、技術的変革を経ても各々のアイデンティティを保ってきた。』状況の変化を経ても保たれる場所 の本質は微妙で漠然としており、形式的・概念的な言葉では容易に分析できない。しかし同時にそれ は場所の個性やユニークさを構成するものだから、私たちの場所経験においては、純粋で明白なもの である。」(p127)また、場所のアイデンティティは、その場所のイメージが個人的なものである か、集団的なものであるか、あるいは社会的に共有されたものかによっても異なったありようを見出 すことができるのである。

場所や景観が作られるとき、場所のセンスや場所への愛着がどんな形で現れるのか。 「人間が必要とするのは土地の切れ端ではなくて、「場所」なのである。それは人間としてのびのび 発展し、自分自身になれるための背景なのだ。この意味での場所はお金で買うことはできない。それ は長い時間をかけて人々の平凡な営みによってつくられなければならない。彼らの愛情によってス ケールや意味が与えられなければならない。」(p185)

「没場所性とは、どの場所も外見ばかりか雰囲気まで同じようになってしまい、場所のアイデンティ ティがどれも同じようなあたりさわりのない経験しか与えなくなってしまうほど弱められてしまうこと である。」(p208) 具体的には、ディズニー化された場所や、ニュータウン、高層建築などによく見出されるような景観 である。これらは、メディアが相互作用するプロセスを構成し、それを通して没場所的な景観が発達す る。また、場所は公共の利益に沿って操作できるものと理解され、機能や技術にかかわる特性や可能 性だけが評価されるような「場所に対する偽物の態度」がそうした没場所の根源であり本質なのである。「没場所性」とは、個性的な場所の無造作な破壊と場所の意義に対するセンスの欠如がもたらす 規格化された景観の形成であると言えるだろう。

「私たちの現代の環境には、喜ばしく魅力的なものがたくさんあり、多くの建物や開発はドラマチッ クで刺激的である。そして、私たちの経験は浅いかもしれないが、それらはまた大きな寛容さを持ち合わせており、没場所性は、場所からの自由をも意味し、日常性は官僚的消費社会のワナとともに、 心地良さと安全さを意味する。 つまり現在の景観は、奥深さと多様さを欠いて過去の地理を根こそぎにしようとはしているけれど も、一般に心地よいまったく効率的な地理をもっている。それは、現代社会に支配的な態度と非常によく調和する景観である。しかし、その特徴が永遠に続くということや、利便性と効率性は不条理さ と没場所性を必然的に伴わなければならないということや、この現在の景観には意義深い場所はひとつもないと信ずることには、何の理由もないのだ。」(p292)

場所は、個人的な、または社会的に共有されたアイデンティティの重要な源泉であり、多くの場合、 人々が意義深く感情的かつ心理的に結びついている人間存在の根源である。場所の「ひとつの可能性 としては、避け難い没場所性の拡大があり、そしていま一つの可能性として、意義ある場所からなる生 きられた世界の構築の手法を確立しそれを適用することによる場所の克服がある。」(p293-294)

意義ある場所を構築していくために、「『ルーツ』や場所への配慮を育む条件を整えることは、お そらく可能だろう。それはやさしい課題ではないし、生きられた世界の場所の設計において、そのよ うな手続きと感情とを複雑に組み合わせていくことがどうすれば可能か、あるいはそもそも可能かど うかは、決して明らかではない。しかし、もし場所が私たちにとって重要なものであれば、またもし 私たちがますます根無し草になりながら地理的移動性と没場所性を増大させていくことに伴う心理学 的結果と道徳的問題について少しでも関心を持つなら、私たちは『意識的で本物の場所づくり』の手 法を開発する可能性を探求しなければならない。(中略)ゴールディが書いたように、『楽しむよりも 耐え忍んだり無視したりしなければならない環境に住むことは、人間らしさを次第に失っていくこと である』」(p306)

場所を守り、また新たに創り出してゆく為には、感じとること、「場所のセンス」が重要だと『場所 の現象学』の中で、エドワード・レルフは述べる。それらは何らかの方法で自動的に達成されるという ようなものでなく、場所に対する本来的な希求に根ざした個人個人の努力によってはじめて可能にな る。そうした人々にとって重要な「場所」がいかにして形成されるのか。またそうした場所を意識的 に、いかにして形成してゆけるのだろうか。

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